お久しぶりです、次郎作こと布施田泰之です。
先日、国立大学の受験だったようですね。
受験されたみなさん、お疲れ様でした。
僕も6年前に1人の受験生として、東京医科歯科大学を受験しました。
合格直後、僕が大学1年生の時に書いたのがこの、
です。
いまだにたくさんの方が検索から読みにきてくださっている記事です。
今回の記事では、あの日から6年たった僕が今どんな思いでいるのか、
主に高校生に向けて書こうかなと思います。
少し長くなったので、最初に概要をのせておきます。
Ⅰ.「成績開示で分かった、僕の実際の合格点数」
Ⅱ.「大学生活6年間を通して、高校生の自分に言いたいこと」
Ⅲ.「最後に」
Ⅰ.成績開示で分かった、僕の実際の合格点
まずは答え合わせ的なものから。
つまり、
僕は実際どれくらいの点数・順位で東京医科歯科大学に合格していたのか、ということです。
まずは結果を載せます。
センター
国語170点
地理89点
数学①97点
数学②98点
化学92点
物理92点
英語179点(筆記174点リスニング50点)
合計817点
換算点(180点満点に圧縮)163.40点
二次試験
数学82点
物理46点
化学23点
英語61点
合計212点
センターと二次の点数を足した僕の点数
375.40点
その年の東京医科歯科大学合格最低点
373.20点
合格者最低点の2.2点だけ上でした。
合格体験記通りのギリギリ合格だったことがうかがえます笑
合格体験記の手応えと違うのは、
数学が0完だったのにもかかわらず82/120点も取れていたこと。
どうやら東京医科歯科大学は途中式などにもしっかり点数をくれていたことになります。
数学0完とかたいしてヤバイことではないんですね。
当時の僕は少し完答することに固執していたのかも知れません。
そして、合格最低点から2.2点だけ上での合格だったと聞いて素直に思ったのは、
「やっぱり受験したあの日、泣きべそかいて受験場から立ち去らなくてよかったなぁ」ということです。
世にあふれる「最後まで諦めるな」という言葉が、
実体験を通して骨の髄まで染み渡った経験でした。
あの日諦めてたら、今の僕はいません。
これは紛れも無い事実です。
「最後まで諦めなかったから合格したケースもあるよ」ということを覚えていておいてほしいです。
しかしながら、
諦めないで最後まで頑張るかどうか、それは自分で決めることだと思ってます。
Ⅱ.「大学生活6年間を通して、高校生の自分に言いたいこと」
東京医科歯科大学を受験したその日から6年の月日がたちました。
その間、部活・読書・バイト・旅行・勉強と幅広く、多くを経験し学んできました。
その中で僕が胸を張ってしてよかったと言えるのが、
「ガーナ留学」です。
もちろん、
僕のしたいことや興味があるからこそ「ガーナ留学」が僕にとって価値を為したわけですが、それでもやはり「知らない世界を知る」ことは全ての人に勧められることだと思います。
共にガーナに留学した友達の言葉を借りれば、
「知らない世界を知るということは、知らない自分を知るということ」でもあります。
元々、僕が地元の医学部ではなく東京医科歯科大学の医学部を志望した理由も、
「東京医科歯科大学には、ハーバード大学をはじめとする多くの留学先があり留学機会が豊富である」というところでした。
僕はその中で自らの興味に従って「ガーナ留学」と「タイで海外臨床実習」を行いました。
どちらもかけがえのない経験となりました。
詳しくはこのブログでも書いているので読んでみてください。
最善の選択をしたなと思っています。
ただ、この留学に関して、
もし高校生の自分にアドバイス出来るとしたら、
ものすごく言いたいことがあります。
「他の勉強はいいから、死ぬほど英語を勉強しとけ!」
僕は大学入学当初から「留学したい」のにかかわらず「英語が苦手かつ嫌い」という矛盾した状態でした。
実を言うと、英語嫌いを克服したのは「タイ留学」を経験してからなので、
実質5年間は「英語が苦手かつ嫌い」だったわけです。
もし英語が得意だったら、留学先の選択肢も広がる上に、留学先での生活ももっと積極的になっていたなと思います。
もちろん、希望の大学に合格することが高校生の勉強において最も優先されることだと思いますが、少しでも余裕がある場合は英語を勉強しておくといいかもしれません。
特に留学とかに興味がある人はなおさらです。
先日、医師として働いている方々に「大学生活でしておけばよかったこと」を聞く機会があったんですが、多くの人が「英語」と答えてくださいました。
論文を読むなど英語を使う機会はたくさんあるのに、忙しくて英語を勉強する時間がないから、とおっしゃてました。
「英語を勉強しとけ」ということは、高校生だけでなく医学生にも言えることのようです。
Ⅲ.「最後に」
東京医科歯科大学を受験したあの日から、6年が経ちました。
長い月日がたったにもかかわらず、
いまだに僕は「死ぬ気で受験勉強した高校3年生の1年間」を思い出します。
あの時は、本当に寝る時とご飯を食べる時以外は勉強してました。
寝てもさめても、勉強のことを考えていました。
田舎の公立高校で、塾もいってなかったので(週1で1時間だけ英語ならってましたけど笑)、
参考書選びから大学の出題傾向の分析、長期短期どちらの勉強計画も自分で立てました。
正直高校3年の春の時点では、「地元の国立医学部も大丈夫か」といった成績だったので、
「誰よりもストイックに誰よりも効率よく」を自分に課してました。
今考えたら、
友達と談笑しながら食べるべき弁当を、3限と4限の間の休み時間に早弁して、
昼休みは、人っ子一人いない自習室で勉強してるってキモいですよね笑
ただ「キモいくらい勉強する」ってことも自分に課してました。
そんな死ぬほど勉強した日々を、いまだに思い出すんです。
そして「今の自分は、あの頃の自分にみせても恥ずかしくない自分だろうか」といった思いが心に浮かびます。
国試に向けて勉強している時、タイ留学に向けて英語の勉強に励んでいる時、
ガーナ留学に向けて学部のテスト勉強に必死になっている時、
僕はいつも「死ぬほど勉強した高校3年生の1年間」を思い出していました。
あの時ほど自分は頑張れているだろうか、
おれの努力のMAXのあの1年間と比べて今はどれくらい頑張っているだろうか、
そんなことを考えるんです。
まさか高校時代の1年間が、こんなにも今の僕に響いてくるとは思ってもいませんでした。
「長い人生、1年くらい死ぬほど勉強してもいいんじゃないか」
なぜか当時の僕はそんなことを思いながら、勉強してました。
これを読んでいる人にとっては、
それが1年じゃないかもしれません。
もしかしたら、努力の対象が勉強じゃないかもしれません。
もしかしたら、その時期が高校時代じゃないかもしれません。
いつだっていいし、なんだっていいんです。
きっと「死ぬほど努力した日々」は、
その人にとってかけがえのない糧になるのだと思います。